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足を引っ張ったのではない。 足にぶらさがったのだ。
死刑宣告のシナリオ時計の針を少し前に戻そう。 一九九五年七月、H銀行の頭取に元大蔵省中国財務局総務部長のNが就任した。
同時に、前N銀M事務所長のWが専務(倒産時点の頭取代行)となった。 ここから、大蔵省の計画倒産のシナリオが作動する。
ことを秘密裏に進めたのは頭取のNと専務のWの、大蔵・N銀コンビである。 業務停止命令が出る数日前に、本店から離れた大阪や神戸の大型支局に「取り付け騒ぎが起こらないように」と、密かに現金輸送車で現金を運び込むよう指示したのも、この二人だ。
倒産に関して、ほかの役員、支庖長はまったく知らされていなかった。 H銀行の発祥地、田辺市で、一九九六年二月二0日、「H会」の総会が聞かれた。
翌朝の倒産を知っていたNは突知、この会を欠席したが、常務のMは「われわれもがんばっている。 今後とも(取引先の皆さんと)手を取り合ってやっていきたい」と挨拶したという。
Mは翌朝の倒産を知らなかったのだ。 大蔵省は一九九六年八月二0日からH銀行の検査に入った。
検査終了は一0月二日。 検査の結果、一九00億円の不良債権があぶり出された。
自己資本は二0三億円にとどまっており、経営改善の見込みがないことが明らかになった。 大蔵省が認定した不良債権額は、それまでHが公表してきた四九四億円(一九九六年三月決算)のほぼ四倍にあたる。

「これまで優良債権とみなしていたものにまでヤクザの手が伸びていた。 優良なものが、あっという聞に食い潰されていった」(当時の大蔵省幹部)。
たしかに、そういった側面は否定できない。 それでも、なぜ、急に四倍になったのか。
この素朴な疑問に、いまだに旧・大蔵省関係者は正直に答えていない。 なぜ、不良債権が急に増えたのか?和歌山市内の支店長の解説を聞いて蹄に落ちた。
「平成八(一九九六)年度の路線価で、大蔵省は不良債権の判定をした。 銀行はもともと地本主義経済で動いているのだから、融資するかどうかを判定する基準が土地になるのは当然だ。
だが、どの物差しを使うかで、健全債権か不良債権かの区分が大きく変わってくる。 路線価は地価公示価格の七0%が目安になる。
そのうえ、平成八年度の路線価は前年に比べて平均二ハ%も下がっている。 不動産融資の比率が四割近いH銀行の場合、最新の物差しを使えば、それだけ不良債権の額が大きくなるわけだ。

平成八年度の路線価で大蔵省の検査が続けられていると知って、『もう、あかん』と観念したと、この支庖長は語る。 大蔵省はH銀行の死刑宣告にあたり、利息相当分を新たに融資する(これを追い貸しという)などして、表面上は「利息が入っているように見せかけた」ものの、返済の長期化は避けられないとの理由から不良債権に格下げした。
「これまでにない厳しい査定だった」と前出の支庖長は指摘する。 それでも頭取のNと専務のWを除くH銀行の首脳陣は「大蔵省がゆめゆめ、潰すことはあるまい」とタカをくくっていた。
H銀行は一九九七年一月二0日、M蔵相(当時)に対して、業務停止命令を不服として「異議申し立て」を行った。 「通常業務を行う永続的なS銀行を設立し行員八五0人の雇用を確保するため」に経営陣、従業員組合、管理職会が三位一体で、異例の異議申し立てをしたことになっている。
だが、内実は「五一人の支庖長が全員入っているH支局長組合Hが主導権を握り、お上に反乱を起こしたのだ」(有力金融筋)。 正式名称をH銀行管理職会(代表幹事はT・大阪支庖長)といった。
この組織に入っていないのは業務、総務など本局の四人の部長だけだ。 「倒産を画策した大蔵・N銀コンビに近い幹部行員には入ってもらいたくない」(管理職会のリーダーの一人)という思いが以心伝心で伝わり、四人の部長からは入会の意思表示がなかった。
「管理職会も新しい銀行ができるなどという幻想は抱いていなかった」(管理職会のリーダー)が、「大蔵省の言う通り再建を進めてきたのに、なぜ倒産(清算イコール消減)なのか?」。 異議申し立ての真の狙いは、「H銀行とウチ(H銀行)が、天地ほど違う扱いを受けた本当の理由を教えてほしい」(有力支局長)に尽きる。
旧・H銀の場合は、業務をS銀行(M銀行)が引き継いだ。 一方、H銀行は整理・清算業務の終了時点で完全に消滅する。
「大蔵省は、(H銀行以降は)債務超過になった銀行はすべて潰すと確約できるのか」(別の支盾長)と本音で迫るつもりだった。 H支庖長組合Hのリーダーの一人は、大蔵省の罪を次のように指弾する。
「いまだからいうが、Hは経営破綻する四年前の一九九二年九月期中間決算から大蔵省の決算承認銀行になっていた。 決算はもとより、株主への配当、役員人事から一00万円以上の経費の支出にいたるまで、ヒト、モノ、カネのすべてに大蔵省の承認が必要だった。
取締役会では何も決められない。 声を大にしていうけれど、ウチは自他ともに認める大蔵省の直轄H銀行だった。

彼ら(大蔵省)は生命維持装置を外すことを考え始めたとたんに、決算承認制度そのものを廃止してしまった。 それもウチを潰す直前の九五年九月三0日にですよ。
責任逃れ以外の何ものでもない」。 一九九七年二月二二日、管理職会のT代表幹事と従業員組合のY委員長が、大蔵省で意見の陳述を行った。
ポイントは、前出の支庖長組合のリーダーの指摘と同じだった。 最後に「当行の破綻処理で、大蔵省の存在意義が高まった」と痛烈に批判した。
H銀行処理が、ちょうど大蔵省の金融検査・監督部門の分離問題の山場にさしかかっていた時期と重なったからだ。 「金融の検査・監督部門を分離独立させたら、Hの倒産のような重大案件の迅速な処理ができなくなりますよ」個の生きた素材として、H銀行の死刑宣告を使ったという主張である。
倒産当時から指摘されていた疑問を、銀行の幹部がストレートに口にしたのだ。 大蔵省銀行局の幹部の冷たい対応が、この怒りの火に油を注ぐ結果となった。
「従業員組合や我々(管理職会)の代表が、雇用確保のために大蔵省を訪ねたときのことです。 「雇用問題は労働省(現・厚生労働省)の管轄だ」とはっきりいわれた。
『労働省に行け」ですよ」。 もう意地である。

支盾長組合の新年会が一九九七年一月一0日夕、和歌山市内の寿司屋で開かれた。 その日の昼の会議で、管理職会は異議申し立てを機関決定していたが、誰一人として仕事の話はしない。
「将来どうするか。 いや、どうなるかも話題にならなかった」(リーダーの一人)。
ただただ、酒を飲み、カラオケのマイクを握り続けた。 それはそうだろう。
実際のところ、「倒産直後の、預金者でごった返していたころのほうが気分的にはまだ楽だった。 昼メシを食べるのは午後四時過ぎ。
罵声を浴びながら、『預金は保護されます』といって、ひたすら頭を下げ続けていただけだが、あんな喧喋があったことさえ、いまはまったく信じられない」(総務担当の次長から支庖長に出たデイープスロート氏)。 関西系の中堅生・損保会社から「来ないか」と誘われている人や、消費者金融会社(サラ金)の経営幹部にならないかと誘われた人もいたが、職のことを誰も口にしなかった。

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